たかラボ 運営者の鈴木孝典です。
なんとなく、公務員を目指し、行ける最大限のレベルの商業高校に入学。完全入部制だったが、やりたいことが見つからず、一番暇な図書局に入り、ほぼアルバイト三昧の毎日を過ごす。
両親の忙しい姿を見ていたため「絶対に料理人にはなりたくない!」と思っていたが、アルバイト先で作ったオムライスが話題になり「あそこのお店のオムライス美味しいよね」というお客様の声を聞き、人に喜ばれる喜び、料理の楽しさに気づく。

高校在学中に、舌を鍛えるため、食べ歩きを重ね、料理の鉄人の店に出ていた名店でインターンシップを重ねる。
就職は専門学生しか受け付けていなかったが、情熱を認めてもらい、入社する。
料理人になるため、誰よりも早くいき、誰よりも遅く帰っていた。
毎日くたくたに17時間働き、そのため、毎日電車で寝過ごし、終点でタクシーを拾うか、近くの漫画喫茶で仮眠し、朝帰ってから出社、休みの日は疲れすぎて、起きたら午後という日々を過ごす。
だが、そんな見習いの毎日で未来が見えず「将来、本当に同じことがやりたいのか?いつになったら、料理を覚えられるんだ…」という考えが頭の中を支配し、先が見えないことに苛立ち、心を壊してしまう。
朝起きると、体が言うことを聞かず、倒れてしまい、ご飯も食べたくない。携帯も見たくない。何もしたくない。という無気力状態になる。
このままじゃまずいと、精神科に行くと「うつの一歩手前」と言われ、働くことを禁止された。
その時、働き始めて、まだ1年半しかたっていなかった。
家族からは「3年働かなきゃ見えないものがある。頑張って乗り越えろ。洗い場でもいいから、働かせてもらえ」と言われ、止められていたが、体は限界を迎えており、職場を思い出すだけで、吐き気がした。
また、その時「このまま無気力で3年いても、見えるものも見えてこない。」と思った。
そして、職場を辞めることにした。可愛がってくれた料理長の寂しそうな顔は今でも忘れることができない。
また、唯一の高校生を採用してくれた社長には、土下座して謝った。
その時「社会には、うちより楽な会社がたくさんある。でも、うちより厳しい会社もたくさんある。決めるのは自分だ。」このことは今でも心に残っている。
その後、北海道に戻り、実家の飲食店で働くも「料理はもちろん、経営者としての勉強が足りない」と感じ、大阪で1年間200名の経営者と一緒に机を並べ、財務や経営者としての在り方を学んだ。
参加費用は180万円だったが「払ってもらうと、自分のためにならない」と22歳で全額借金し、参加した。
その甲斐もあり、何もわからなかったので、0から頭をさげ、丁寧に教えてもらい、休みの日は寿司屋で料理はもちろん、仕組みを勉強し、暇なく学んだ。
そして、北海道に戻り、人口6,000人でも売上10,000,000円をあげる飲食店の店長を務める傍ら、北海道の生産者の販路開拓を支援する「たかラボ」を創業し、北海道食材の魅力を伝える活動に奮闘している。